【※本記事は2020-04-16更新しました】
こんにちは。李哲です。
アメリカの中医師:鄭智城先生*1の文章を翻訳しました。
天然痘などを含む伝染病は、ワクチンで根絶したと思わないでください。天然痘の歴史を振り返りながら見れば分かります。
中国語本文のリンク先は、
皆さん、天然痘の歴史を振り返って見ましょう。
(データの源はSuzanne Humphries医師の本です。)
イギリスは1800年から天然痘ワクチン接種を始めました。1850年には、全国民に天然痘ワクチン義務接種を始め、違反する人は罰金刑もしくは刑務所。
しかし、毎回ワクチン接種しても天然痘が流行り、イギリス国民は天然痘ワクチンを疑うようになりました。その中の一つ、25万人の人口がある都市Leicesterは特に反発が強かったです。
1872年は天然痘が大流行。Leicesterの市民たちはのワクチン接種率が90%なのに、天然痘災害がひどい(3000人感染、358人死亡、すでにワクチン接種をした人を含め)から、我慢できなくて政府の強制接種法律に違反する事になりました。
1885年、Leicesterの市民たちは大規模なデモを行い、全ヨーロッパの人も参加しました。1885年からLeicesterの地方政府は妥協して、ワクチン義務接種を廃止。
Leicesterのワクチン接種率は急に下がって、新生児の約10%だけ天然痘ワクチン接種しました。同時にこの都市は、厳格な衛生管理と隔離措置を始めました。その後から、Leicesterの毎年の天然痘感染者は2~3人だけ。
1893年天然痘災害がひどい時期、イギリスのもう一つの都市、ワクチン接種をたくさんした都市Mold、Flintshireの死亡率はLeicesterの32倍!
Mold/Flintshireの死亡率は3614/百万人。
10歳以下で、ワクチン接種してないLeicesterの死亡率は144/百万人!
ワクチン接種を大規模に行ったBirminghamは当時、1万人あたりの感染者は63人で、5人が死亡。Leicesterの状況は、1万人あたりの感染者は19人で、1人が死亡。
天然痘災害が爆発した時期、10万人毎にLeicesterの死亡率は5.7人。
Birminghamは8人。
Warringtonは10人。
Middlesbroughは14.4人。
時間が経つことでLeicesterの天然痘死亡率は下り始め、1902年~1903年の災害中は10万人毎に死亡率は5.3人。1903~1904年の死亡率は1.2人。
史上では、これを「Leicesterの経験」だと言います。
厳格な都市衛生管理と病患の隔離こそ、天然痘災害を収める有効な方法です。天然痘を根絶させたのは、ワクチンではありません!
日本は1885~1892年の間、156172人が感染されてその中の39979人が死亡。そして、1892年から日本政府は生後1ヶ月の赤ちゃんに、7歳まで毎年ワクチン接種するようにしました。
もし天然痘の流行りがあったら、全国民に強制的にワクチン接種する措置をとりました。しかし、1892~1897年の5年の間、日本はワクチン接種をしたのに、14万2032人が天然痘に感染され、3万9536人が死亡。
ワクチンの功労は、どこにありますか?
1896年から日本政府は、強制的に全国民に5年毎にワクチン接種するようにしました。しかし、1897年日本の天然痘死亡率は32%に上昇し、ワクチン接種する前の2倍になりました。
アメリカでは1948年、だいたい200~300人が天然痘ワクチン接種で死亡。同じ1948年、自然な天然痘にかかって死んだ人は1人だけ。
1974年、インドはワクチン接種率88%(85%のherd immunityを超え)を達成した状況なのに、10万人が天然痘ウィルスに感染されて3万人が死亡。
データの源は、David Koplow, 《Small Pox: the right to eradicate a global scourge》. University of California Press, 2004, P.21.。
*1:鄭智城先生の紹介は、オススメの漢方医・鍼灸医(海外) をご覧ください。